古銭鑑定団

【知ってる?】日本の古銭・お金の歴史・変化を振り返ってみよう!

コインアルバム
古銭の基礎知識

古銭とは文字通り古いお金のことですが、貨幣の歴史はとても長く、日本だけでなく世界全体に関わるものです。

ここ最近の短い時間のうちに仮想通貨、電子マネーが誕生し発達したことからも分かる通り、お金の歴史は今もなお、めまぐるしく変遷しています。

このような背景が「古銭って、なんだかややこしい」と感じさせる原因になっていますが、貨幣の歴史に触れることで古銭の見方が変わるきっかけになるかもしれません。

この記事では古銭の歴史の概観を見渡すとともに、興味のある古銭を個別に調べることができるようにご紹介したいと思います。

お金の歴史

色々な種類の小銭

まずはお金の歴史をざっと概観していきます。これだけでも古銭との距離が少し近づいたと感じることができるでしょう。日本の貨幣やその他の古銭の詳細については次の項目でご紹介したいと思います。

ここではお金の歴史の大きな流れを以下の6つで説明します。

  • お金とは何?
  • 物々交換
  • 物品貨幣
  • 物品貨幣の発展
  • 金属貨幣の登場
  • 紙幣の登場

なお、この記事は古銭の知識を深めることを目的としていますので、紙幣の登場につづく電子マネーについては省略しています。

お金とは何?

並べられた硬貨

普段、私たちはお金を使って、モノを手に入れたりサービスを受けたりしています。お米や水が欲しい、髪にパーマをあてたい、子どもの学力を上げたい、そういった必要や欲求を満たすために貨幣を用います。

今晩のトンカツのために豚肉を手に入れたいから、狩りに出かけよう。そんな人間は現代日本社会には存在しないはずです。

「豚肉が欲しい。豚肉を持っている人がいる。自分で豚を捕まえたり育てたりする必要はない。ただし、相手が豚肉をくれるようにするためには、こちらも何か与えなければならない」

スーパーマーケットや精肉店へと赴き、紙幣や硬貨を支払って、お目当てのものを受け取ります。

この「ただし、相手が―」以降の部分が欠落した行為の一種が略奪や窃盗などですが、現代であれ大昔であれ、通常の集団・社会では自己の利益ばかりを追求するわけにもいきません。

物々交換

チェック

お金というものが発生する以前、古代の人々は欲しいものを手にいれるために「物々交換」を行っていました。

物々交換(ぶつぶつこうかん、英: barter)とは、物品と物品を直接に交換する決済手段である。お金(通貨)が存在しなかった時代での決済手段とされてきたが、まだ物々交換で経済が成り立っていたという記録は見つかっていない[1]。「物」とあるが、無形のサービスについても使う。

相手の欲しがる物品をこちらが与えることで、自分の欲しいものを手に入れるという手段です。しかしこれには問題があります。

例えば、豚肉を欲しがっている人が豚肉を持っている人のもとに行ったとします。

「豚肉が欲しいんです」

「あなたは何を持っていますか?」

「今朝獲ったばかりの魚介がありますよ」

「魚、いらないんだよね。欲しいのはお米なんだ」

こうなれば物々交換が成立しません。この場合、豚肉を手に入れたい人は、豚肉を所有し、かつ、魚を欲しがっている誰かを見つけないといけません。

子ども時代に友達とカードやシール、おもちゃの物々交換を試みて断られたという記憶をお持ちの方もいるでしょう。子どものカード交換ならあきらめはつくものの、生活に必要な物資の交換となれば話は別です。どうにか上手に交換しなくてはなりません。

物品貨幣

スマホで買取店を調べる女性

商品貨幣、貨物貨幣ともよばれる。紙幣や信用貨幣などと区別して、それ自体が価値をもついわゆる実体貨幣を意味し、金属貨幣を典型とするという理解もあるが、狭義には、商品交換のきわめて未発達な段階に、貨幣であると同時に商品として本来の用途にも用いられた貝殻、亀甲(きっこう)、塩、布、穀物、家畜、皮革などをさす。

そこで古代の人々は物々交換を一工夫するに至りました。それが「物品貨幣」と呼ばれるものです。「みんなが欲しがるものを用意してたら、交換もうまくいくんじゃないかな」という理屈です。

みんなが欲しがるものとして用いられたのは「お米、塩、布、家畜、貝殻」などです。これは日本だとお米や布がメインで、主食や衣類になるものですが、中国だと貝殻、フィジーでは鯨歯など国によっても違いがあります。

誰かから何かを欲しい場合にはその物品貨幣を持っておく必要がありますので、自分の所有物をそれに替えておきます。確かにこの手段であれば、交換もスムーズにいきそうです。

ここがポイントちなみに、物品貨幣というのはそのもの自体に商品価値があります。物品貨幣は実物貨幣ともいいます。さらに詳しく分類した場合には、お米や布、家畜などの貨幣を「商品貨幣」といいます。貝殻や石などの貨幣は「自然貨幣」と呼びます。

「貝殻や石ってそのもの自体に商品として価値があるの?」と思うかもしれませんが、宝石的な値打ちについて想像すれば理解できるかと思います。

美的価値のある希少性の高いものという基準で選ばれることもあったでしょうし、動物の骨や石など、宗教的な意味の大きな貴重品が採用されることもあったでしょう。

一方、もう少しあとで登場する「そのもの自体にほとんど商品価値を持たない貨幣」のことを名目貨幣といい、これは千円札などの紙幣がそれにあたります。

例えば金貨であればゴールドというその物質自体に価値を持ちますが、一万円札は法的な価値づけがされなかった場合には、ただの紙切れ、です。

物品貨幣の発展

(画像出典:三菱UFJ銀行)
(画像出典:三菱UFJ銀行)

それぞれの国で「お米、塩、布、家畜、貝殻、石」など様々なものを物品貨幣として使っていましたが、この段階でもまだまだ問題点というのがありました。

これらの貨幣では持ち運びが不便であったり、長期的に保存がきかなかったりするものが多いのです。遠方まで出かけて行く場合にはお米にしろ布や家畜にせよ、携えて移動するのは大変です。

日常的にも、天候・気候に配慮して保存する必要もあるでしょうし、多くの貯えを持っている者にとっては、収納の不便さもあるでしょう。腐ったり傷んだりといったことを気にして実際に消費するまでの時間を細々と計画しなければならなさそうです。

単に近所の人々と物々交換的なやり取りをするコミュニティなら不便も少なそうですが、集団が拡大し、社会や経済に広がりを見せだした土地であれば、こういった問題は自ずと表れるにちがいありません。

さらには、お米や布などはそれ自体を手に入れたり作ったりすることなら比較的簡単にできてしまいます。確かに、誰でも欲しがるものではありますが、交換のための貨幣としての値打ちとしてはその機能がまだ不安定だといえるでしょう。

そのため、お米や布などの物品貨幣を使用していた土地では、

  • 持ち運びが便利なもの
  • 保存しやすく、価値が長く変化しないもの
  • 誰でも簡単に手に入らず、値打ちが保証されているもの

といった条件を満たした貨幣に向かっていくことになります。

中国の貝殻

wiki「貝貨」
wiki「貝貨」

中国の場合では貝殻が主な物品貨幣となっていました。中国沿岸では採れない宝貝(子安貝)という種類で、希少性があり、呪術的・装飾的な価値などを持っていました。

その貝殻が貨幣として使用され始めましたのは殷王朝(紀元前1600年~1046年)の時代からです。この貝の貨幣を「貝貨(ばいか)」といいます。お金に関わる漢字「購」「貯」「貨」などに、貝という文字が含まれているのはこういう背景があるからです。

ちなみに、この貝貨はアジア、オセアニア、アメリカ、アフリカなど広範な土地で用いられ、時代も古代に限ったわけではありません。例えば中国の一部の地域では17世紀頃まで貝貨が流通していました。

この貝殻の物品貨幣なら、先にお話ししたお米などとは違って持ち運びも便利ですし、変質しにくく保存管理もしやすそうです。また、簡単には手に入らない希少性があるので値打ちは保証され、誰もが欲しいと思えるものでもあります。

この貝貨が次には金属の貨幣と移り変わっていきますが、これについては文明の発展がそういう流れを作ったといえるでしょう。

技術が発展し、農機具や武器、食器などを金属で製造できるようになりました。それに伴って、貨幣についても金属を材料として作られるようになったのです。

現代で置き換えれば、百円玉、千円札といった貨幣があれば事足りはしますが、コンピュータ技術の発展によって電子マネーが誕生しました。それと似たような現象が当時にも起きたというわけです。

金属貨幣の登場

色々な種類の小銭

金属貨幣なら、食べ物と違って腐食しにくく長持ちしますし、破損や傷みがあっても価値が落ちにくいです。

作られた金属貨幣の種類については金、銀、銅、鉄などがあります。お米ならば数グラムでは価値が乏しく、交換のために価値を持たせるには何キロという重たい量が必要になりますが、金属では大きな量がなくても値打ちが高いです。

形状については任意に設計することができます。コンパクトで、重くもなく、耐久性が強くて保存しやすい。なおかつ、製造はそれほど難しくない工程で行えます。とはいえ、一般の人々が作れるわけではなく、簡単に手に入れられるものではないので、一定の価値のまま安定させやすいという特性があります。

金属貨幣といえば、まっさきに「硬貨・コイン」を思い浮かべますが、最初に「秤量貨幣」というタイプがあって、のちにコインのような貨幣となりました。まずはその説明から始めたいと思います。

秤量貨幣(しょうりょうかへい/ひょうりょうかへい)

秤量貨幣(しょうりょうかへい/ひょうりょうかへい)とは、使用に際して交換価値を品位・量目を検査して計って用いる貨幣。長期間の使用や所有、保管でも変化しにくい金銀青銅などを加工もしくは加工せずに用いた例が多く、貨幣の最古の形態の1つである。

金属貨幣ははじめ、金属の重さをはかり、その重量が価値の大きさを決めるという「秤量貨幣」という仕組みをとっていました。

例えば現在では、牛一頭が一万円だとしたら、一万円分の貨幣(一万円札1枚だとか、千円札10枚)を支払えば、それで牛を手に入れることができます。

一方、この「秤量貨幣」では、一頭の牛が欲しい場合、その価値に合うだけの金や銀を用います。相手がその金属について調べて重さをはかり、牛一頭分だと確認できたら、取り引き成立です。

つまり、その金属自体の価値がそのまま貨幣としての価値になっているということです。そのため、お米や塩などの物品貨幣の名残がある段階だといえます。

この頃の金属貨幣はまだコインのようなものではなく、砂金や加工して金属の塊となったものを支払っていたそうです。

秤量貨幣はいかにも原始的な支払方法に思えますが、明治政府によって停止されるまでは一部の取引で使われていました。

計数貨幣(個数貨幣)

並べられた硬貨

計数貨幣(けいすうかへい)は、個数貨幣(こすうかへい)とも呼ばれ、一定の形状・品位・量目を持ち、表面にその価値を示す数字あるいは刻印が施され、それによって数字または刻印に示された貨幣価値を保証された貨幣のこと。

「秤量貨幣」の次の段階にくるのが、単にその貨幣の数で取引できる「計数貨幣」です。これは、一円玉、五千円札のように現代の貨幣の仕組みと同じです。

こちらの場合、秤量貨幣とは違って、その貨幣を見ればそれだけで価値が分かります。一万円札の紙が上質だから一万円の価値を持つわけでもありません。

金属を溶かして型に流して作るので「鋳造貨幣」とも呼ばれています。いわゆる硬貨・コインの出現です。

単にその貨幣の数をかぞえれば価値が分かるようにしないといけないので、貨幣は一定の特徴を持っていなければいけません。その貨幣づくりに使用される金属の種類、品位、重さ、形状などを設定し、その貨幣の価値を表す額面などを印しておきます。

秤量貨幣としての金や銀なら、それ自体の質量を調べれば価値を確認できますが、こちらの貨幣はそういうわけにはいかないので、一定した貨幣づくりによって「ちゃんと貨幣として価値がありますよ」という保証がなされているのが特徴です。

この計数貨幣は千円札などのような、そのもの自体にほとんど商品価値を持たない「名目貨幣」、と金貨や銀貨などのように実質価値と額面に差がない「本位貨幣」の2タイプがあります。

紙幣の登場

並べられた古紙幣

個々の所有物で取引する物々交換から、みんなが欲しがるモノを取引材料とする物品貨幣、そしてコインのような金属貨幣。

この流れだけでも、糸電話から固定電話くらいまでの大きな発展といえそうですが、それでもまだまだ発展の勢いはとまりません。

金属貨幣は確かに以前と比べると使い勝手がよくなりましたが、まったく不便がないかといえばそうでもありません。

ここが注意

例えば商人が大型の取引を行う場合、金貨や銀貨を大量に運ぶ必要が出てきます。単純に重たいですし、窃盗される危険などもあります。

そのほか、金貨や銀貨は金属貨幣のなかでも、実質価値と額面に差がない「本位貨幣」というタイプです。ゴールドやシルバーとしての素材の価値が貨幣の価値に反映されているので、コインが摩耗すればそれだけ価値が落ちることにもなります。

こういった事情から、お金を持っていることを証明する紙を使った取引が行われるようになり、これが紙幣の始まりです。

自分で貨幣を持ち歩かずに取引相手にお金を持っていることを表す必要があります。そのためにその人はお金持ちの富商などのところに行って自分のお金を預けます。

その富商はいくら預かりましたよという預り証を発行して渡します。その紙があればお金をいくら持っているという証明になりますし、いつでもお金と交換できます。

これを持っていれば、ほかの土地でも支払いをすることができました。「お金と交換できる」という手形なので、この紙はまだお金そのものではありません。

当初は商人たち民間で使用されていた手形でしたが、のちに政府が紙幣として発行するようになりました。手形という証明書から、その紙自体がお金として用いられるようになりました。世界最古の紙幣は中国、宋朝による「交子(こうし)」というものです。

兌換紙幣(だかんしへい)から不換紙幣へ

amazon「兌換券10円」
(画像出典:amazon「兌換券10円」)

手形はお金を受け取ることができるという証明書ですが、紙幣となればこの紙切れには貨幣の価値がありますという証明が必要になります。金貨や銀貨の場合にはその材料自体に価値を持っていますが、紙にはそういう特性はありません。

そのため、「この紙があれば、それと同じ価値の金や銀に交換できますよ」という約束をした紙幣が作られました。それを持っていればいつでも金や銀、または金貨や銀貨に交換できるという信用をもとに成り立つ紙幣です。

これを兌換紙幣(だかんしへい)といいます。

兌換紙幣と金本位制
amazon「兌換券5円」
(画像出典:amazon「兌換券5円」)

日本では明治18年(1885)、日本銀行による「日本銀行兌換銀券」というのが初めての兌換紙幣です。「銀券」とあるように、この紙幣は銀貨と引き換えることが約束されています。

これが「金との交換」であれば、いわゆる「金本位制」と呼ばれるものになります。日本では明治30年(1897)に、金本位制となりました。「金2分(0.75g)が1円」と定められました。

この兌換紙幣は金と交換できる紙ですから、その金属の量をもとに紙幣は発行されます。金本位制であれば、金の量によって、紙幣の発行枚数が制限されてしまうわけです。

例えば現在でも政府が景気を回復させるためにお金をたくさん刷すような政策をしますが、金本位制ではそれはできません。もし金の量を大幅に上回るお金を刷れば、「この紙と交換できるだけの金ないよね? この紙幣、大丈夫?」という話になり、紙幣としての信用は失われてしまいます。

つまり、金本位制だと経済の発展には不都合な側面があるということです。

日本での金本位制は1917年に国際的な事情から離脱、そして1930年に復帰を試みますが、世界恐慌等の影響もあり、1931年に停止することになりました。

不換紙幣(ふかんしへい)
楽天「改正不換紙幣100円」
(画像出典:楽天「改正不換紙幣100円」)

兌換紙幣ではうまくいかなくなり、金とは交換できない「不換紙幣」へと移行しました。

世界恐慌後の1931年に金本位制がなくなった時から事実上、日本銀行券は兌換紙幣ではありませんが、法的にいえば1942年の日本銀行法制定によって不換紙幣の発行ができるようになりました。

不換紙幣は「管理通貨制度」のもとに用いられる貨幣です。管理通貨制度とは、お金の発行量を自由に調節できる仕組みです。

兌換紙幣・金本位制であれば、金の量によって紙幣の発行枚数が制限されていましたが、こちらの方だとお金をたくさん刷ったり、反対に制限したりとコントロールできるので、経済的な政策の自由度が高くなるといえます。

ただし好き勝手に紙幣を刷りすぎると、貨幣の価値が下がり物価が上がる「インフレ」になったり、発行量の引き締めをしすぎると、お金が少ないために消費が抑えられて物価が下がる「デフレ」へとつながりもするので、やはりこの制度にも良し悪しがあります。

この不換紙幣は金や銀と交換することはできないので、ただの紙切れ扱いされないための信用は、政府による「この紙は貨幣としての価値がありますよ」という裏付けのみです。人が形のないものを信用して成り立っています。

現在の貨幣は不換紙幣にあたります。

中国の貨幣

中国の貨幣制度史
(画像出典:中国の貨幣制度史)

日本の貨幣の歴史を見る前に、中国の貨幣についても簡単に触れておきます。日本のお金と歴史的にも関わりが深いですし、古銭の話題ではしばしば中国貨幣が登場するからです。

中国貨幣の歴史について説明すると膨大な量になるため、ここでは有名な中国古銭についていくつか取り上げるに留めたいと思います・

中国貨幣の始まりは殷の「貝貨(ばいか)」

wiki「貝貨」
(画像出典:wiki「貝貨」)

先述の「お金の歴史」でも触れましたが、中国の貨幣の始まりは「貝貨(ばいか)」とされています。

中国沿岸では採れない宝貝(子安貝)という希少性の高い貝が用いられていました。

貝貨は殷(紀元前17世紀頃 – 紀元前1046年)の時代に始まったとされています。

青銅貨幣:春秋・戦国時代に誕生

青銅貨幣
(画像出典:wiki「中国の貨幣制度史」)

古代中国で周が滅亡し、秦の始皇帝が中国統一を果たすまでにあたる、春秋時代(紀元前770-紀元前403年)・戦国時代(紀元前403年-紀元前221年)に新たな貨幣が登場しています。

貝貨は春秋時代まで流通していましたが、このころより、青銅貨幣が使われるようになりました。技術の発展により、農機具や武器、食器などを金属で製造できるようになり、貨幣についても青銅で作られるようになったのです。

この青銅貨幣にはユニークな形状のものが多く存在します。

  • 布貨(ふか):鋤 (すき)の形
  • 刀貨(とうか):包丁のような形
  • 蟻鼻銭(ぎびせん):蟻の顔のような模様が刻まれている

ほかにも「環銭(かんせん)」などがあります。これは秦で流通していた青銅貨幣です。

青銅貨幣

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円銭
(画像出典:中国貨幣の歴史)

この環銭は文字通り、円状になっており、真ん中に丸ないし四角の穴が開いています。

秦が紀元前221年に中国を統一すると、貨幣は全国的にこの環銭で統一されました。

秦の始皇帝の頃に鋳造しはじめた環銭は「半両銭(はんりょうせん)」といいます。時代が変わり、漢の武帝の時代に鋳造された「五銖銭(ごしゅせん)」なども有名です。

円銭

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開元通宝(かいげんつうほう):唐

開元通宝 時代 飛鳥時代/621年
価値 D
相場 1,000~9,999円
素材
画像出典 wiki「開元通宝」

春秋戦国から飛んで、時代はかなり下りますが、唐(618年-907年)のころの貨幣をとりあげておきます。

これより前の時代まで長く使われていた五銖銭が粗悪になっていたため、唐になると貨幣の刷新が行われました。

開元通宝(かいげんつうほう)」という銅銭が鋳造されました。開通元宝とも呼ばれています。かなり長く流通されており、その期間は約290年です。

この銅銭を見ると、なんとなく見覚えがあるよう気がしますが、それは日本のお金との類似です。

日本の富本銭(ふほんせん)や和同開珎(わどうかいちん/わどうかいほう)はこれに倣って作られたといわれています。

世界で最初の紙幣:宋の「交子(こうし)」

交子 時代 平安
価値 B
相場 1,000~1万円
素材
画像出典 wiki「中国の貨幣制度史」

唐(618年-907年)、五大十国時代(907年-960年)のあと、宋(960年-1279年)が興りますが、この時代には世界的に見ても重要な貨幣が誕生します。

それは紙幣の始まりです。

これについては「お金の歴史」で説明しましたが、当初は民間で使用されていた「お金と交換できる手形」として「交子」というお金の預り証が発行されていました。それが、のちに政府が紙幣として発行するようになりました。

その後、南宋の時代(1127年-1279年)に、「会子(かいし)」が発行されました。

古銭としては金王朝(1115年-1234年)の「交鈔(こうしょう)」、1935年に中華民国国民政府によって作られた「法幣(ほうへい)」などが有名です。

中国の貨幣制度史

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日本の貨幣の歴史

日本の貨幣を時代ごとに追っていきたいと思います。

飛鳥時代~奈良時代:富本銭、和同開珎

和同開珎 時代 飛鳥時代/708年
販売価格 1,000~8,000円(レプリカ)
買取相場 10,000~49,999円
素材 銀・銅
画像出典 wiki「皇朝十二銭」

古代の日本では物々交換や、お米や塩、布を用いた物品貨幣によって経済活動を行っていましたが、奈良時代(710年-794年)に入って銅銭のような金属貨幣の流通が始まります。

このころ、中国では唐(618年-907年)の時代でした。日本から見た当時の中国というのは時代の先端をいく超大国なので、政治・社会体制、技術、宗教、文化などが持ち込まれ、お手本とされました。

そのひとつが貨幣で、唐の時代に鋳造された「開元通宝(かいげんつうほう)」という銅銭が日本へと渡り、それに倣って、708年に「和同開珎(わどうかいちん/わどうかいほう)」という日本最古のお金が作られたのだとされています。

富本銭

ただし、1998年の調査で「富本銭(ふほんせん)」が発見され、「和同開珎」よりさらに古い貨幣が見つかったと話題になりました。

富本銭は7世紀後半の地層から発掘されました。7世紀後半といえば飛鳥時代の後期(文化史上では白鳳時代)にあたります。

しかし、この富本銭は通貨ではなく、副葬品など「まじない銭」だったのではないかという説が有力でした。もしそうならお金ではないので、相変わらず日本最古のお金は和同開珎ということになります。

一方、富本銭も中国の開元通宝がモデルとなっており、形状や重さなど製造規格がほぼ同じであり、この観点からみると和同開珎よりさらに模倣性が高いので、富本銭こそ日本最古のお金だという説も出ています。

この議論についてはのちの研究や発見が待たれるというのが現状です。

奈良時代~平安時代:皇朝十二銭

万年通宝 時代 奈良時代/760年
販売価格 不明
買取相場 50,000~99,999円
素材 青銅
画像出典 wiki「皇朝十二銭」

和同開珎を発行した朝廷はそれを流通させようとして、これまで物を納める税であった調庸にこの貨幣で代納することを可能にしたり、硬貨をたくさん貯めた量だけ位階を昇進できるという蓄銭叙位令(ちくせんじょいれい)を出したりしました。

このように流通を広げていくなかで、偽造の問題が出てきました。鋳造方法がまだ未発達の段階なので、和同開珎は簡単に真似して作れる代物だったのです。

その対策として、新しい貨幣が発行されました。それが万年通宝(まんねんつうほう)と呼ばれるものです。このように「和同開珎」が708年に鋳造されて以来、平安中期(958年)までの250年間のうちに12種類の銅銭が発行されました。

これがいわゆる「皇朝十二銭(こうちょうじゅうにせん)」と呼ばれるものです。本朝十二銭などともいわれています。朝廷・政府が発行した銅銭という意味からこの名が付されています。

この「皇朝十二銭」は新貨幣に変わっていくごとに銅貨の含有率が低下し、品質が落ちることで信用を失い、やがては停止することになりました。

政治的にも朝廷の威信が失墜し弱体化が進んだため、皇朝十二銭の終わりから約600年間ほど、16世紀まで日本の国家による公鋳貨幣は作られることがありませんでした。

京都の平安神宮

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平安時代~鎌倉時代:渡来銭

皇宋通宝 時代 平安時代/1039年
販売価格 700円~
買取相場 1~499円
素材
画像出典 電脳古銭譜

皇朝十二銭が中止になってから、その後、一部を除いて、再びお米や布などによる物品貨幣へと戻りました。

しかし経済の発達に伴って、物品を貨幣とするやり取りだけでは不便も多いため、金属貨幣のようなお金の必要性が次第に高まっていきました。そうして平安時代の末期から外国のお金を使用するようになりました。

平安後期、中国では宋の時代で、日宋貿易によって「宋銭」という銅銭が日本にもたらされ、日本国内で外国貨幣が流通するようになりました。

この宋という国は世界発の紙幣である「交子」を発行したことでも有名です。宋銭は他のアジア圏でも用いられ、その時代の世界通貨としての役割もありました。

政府としては外国貨幣が国内で使用されるのはおもしろくなく、禁止を出すこともしたようですが、鎌倉幕府はやがて黙認し、やがては実質的な日本の通貨という扱いになりました。

宋銭のように日本国内で流通した外国のお金のことを「渡来銭(とらいせん)」といいます。

南北朝時代~室町時代:永楽通宝

永楽通宝 時代 室町時代/1411年
販売価格 1,000円
買取相場 500~999円
素材
画像出典 wiki「永楽通宝」

つづき南北朝時代(1333-1392)や室町時代(1392-1573)にも朝廷や幕府が貨幣を鋳造することはなく、外国のお金が流通していました。

この時代といえば明(みん)との勘合貿易ですが、それによって宋銭につづく明のお金も国内に流入しました。有名なものに「永楽通宝(えいらくつうほう)」があります。

こう説明すると宋銭が途絶えて明銭に切り替わったという感じがしますが、実際にはそういうわけでもありませんでした。関東や九州では永楽通宝が好まれていましたが、畿内では人気がなく明銭よりも宋銭が好まれていたそうです。

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安土桃山時代:天正通宝、天正大判

天正菱大判金 時代 1588年
販売価格 不明
相場 7,000万円から1億円
素材
画像出典 wiki「天正大判」

平安時代までの皇朝十二銭以来、600年ほどの年月を経て、長らくぶりに日本で鋳造される銭貨が安土桃山時代に登場します。

豊臣秀吉によって発行された金銭と銀銭で、その主な使用目的は手柄を立てた時の褒章用の貨幣でした。「天正通宝(てんしょうつうほう)」といい、1587年に作られました。

秀吉はそのほか、天正大判(てんしょうおおばん、1588年)という大判や、文禄通宝(ぶんろくつうほう、1592年)という銀銭・銅銭なども発行しています。ちなみに、この天正大判は現存する金貨のなかで世界最大です。

しかし、大坂の陣で豊臣家が滅亡しているため、流通した期間は短く、また、秀吉の発行した貨幣はいずれも褒章用などで流通を目的としていませんでした。

そのような事情から、一般的な流通を目的とする通貨は江戸時代まで待たれます。そのためこの頃は依然、庶民たちは渡来銭などを使っています。

明治古都館

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江戸時代:小判・一分金、丁銀・豆板銀、寛永通宝

元禄小判金 時代 1695年
販売価格 500,000円
相場 500,000~999,999円
素材
画像出典 日本銀行金融研究所「江戸期小判の品位をめぐる問題と非破壊分析結果について」

関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は金属貨幣の全国統合を行いました。

江戸時代といえば大判、小判のような金貨のイメージが強く、実際に江戸幕府は銭貨よりも金貨や銀貨の整備を先にとりかかりました。金山や銀山を手にすることが軍事力を強める重要な戦略だという考え方が戦国大名にはあったからだそうです。

そういう背景から銭貨の流通が整うのは金貨や銀貨から遅れて約35年後、3代将軍家光の時代になってからです(※1606年に慶長通宝が鋳造されましたが、本格的に流通することはありませんでした)。

三貨制度:金、銀、銭が併せて流通

江戸時代の貨幣制度の特徴は「三貨制度」というお金のシステムです。

小判のような「金」、丁銀などの「銀」、そして寛永通宝といった「銭」の3タイプの通貨を用いた制度でした。

江戸では主に金貨が流通し、大坂など西日本では銀貨が用いられていました。違う種類の貨幣でやり取りするためには、それぞれの価値を換算できなければなりません。

慶長14年、幕府は三つの貨幣の相場として「金一両=銀五十匁=永一貫文=鐚四貫文」と定めるなど、元禄13年に「金一両=銀六十匁=銭四貫文」と改訂。

これは貢納金などに対して使われていましたが、一般的な商取引では市場にゆだねて変動相場で取引されていました。その時どきの金銀銅の価値をはかって両替するという方法です。

こういった状況から発生したのが現在でいうところの銀行にあたる「両替屋」です。両替商は預金や貸付、3つの貨幣の両替、為替業務等を行っていました。

それでは次に、金、銀、銭の3タイプの貨幣についてもう少し詳しく見ていきましょう。

江戸の金貨

金貨の種類は大きく分けると「大判」「小判」「一分判(いちぶばん)」の3つになります。大判は贈与や大規模取引などで用いられていたため、よく流通していたのは「小判」「一分判」になります。

小判については数多くのものが発行されており、慶長小判、天保小判など有名なものがたくさんです。

慶長一分判金 時代 1601年~1695年
価値 高額買取
相場 約30,000~1,000,000円
素材
画像出典 wiki「一分金」

一分判(一分金ともいう)というのは長方形の形状をしており、紋様や署名が刻印されているのが特徴です。

一分判(一分金)の額面の単位は「1分」となります。小判は「1両」。

金貨の単位は「1両=4分=16朱」というのが基本で、一分判(一分金)が4つあれば小判1枚分という具合です。のちに「二朱金」「二分金」「一朱金」という単位の貨幣も登場します。この「一朱金・二朱金」の単位が「朱」となります。

江戸の銀貨

慶長丁銀 時代 1601年~1695年
価値 A
相場 30万~50万円
素材 銀、その他
画像出典 wiki「慶長丁銀」

銀貨は金貨とは違って「秤量貨幣」という仕組みです。金貨は現在の貨幣と同じくその貨幣の数で取引できる「計数貨幣」です。銀貨はその金属の重さをはかり、その重量によって取引されます。

この銀貨は「丁銀(ちょうぎん)」「豆板銀(まめいたぎん)」といわれるものです。重さの単位は「貫(かん)」「匁(もんめ)」「分(ふん)」です。1匁=3.75gで、五円玉の重さにあたります。

幕府が元禄13年に定めた相場に従えば「金一両=銀六十匁=銭四貫文」となっているので、例えば丁銀60匁(225g)で小判一枚分です。

この「丁銀」「豆板銀」が江戸期の主な銀貨ですが、そのほか、計数貨幣としての「一分銀」「二朱銀」「一朱銀」などが併せて使われるようにもなりました。

今の感覚では銀より金の方が価値が高いという認識かもしれませんが、貨幣の価値は「一分銀=一分金」「二朱銀=二朱金」「一朱銀=一朱金」と等価でした。

江戸の銭貨

時代 江戸時代/1688年
価値 D
相場 1~499円
素材 銅・白銅・鉄
画像出典 wiki「寛永通宝」

銭貨の流通が整うのは金貨や銀貨から遅れて約35年後、3代将軍家光の時代になってからでした。それ以前、1606年にも慶長通宝が鋳造されましたが、本格的に流通することはありませんでした。

江戸幕府による本格的な銭貨は1636年から発行された「寛永通宝(かんえいつうほう)」です。

単位は「貫(かん)・文(もん)」となります。銭1000文で、銭1貫にあたります。1文銭の重さは現在の5円玉と同じになります。1文銭4000枚で、小判1枚の計算です。

寛永通宝のほかには、宝永通宝(ほうえいつうほう)や天保通宝(てんぽうつうほう)などがありますが、寛永通宝だけは幕末までずっと作られ続けました。そのためこの種類は200種類以上もあります。

藩札(はんさつ)

藩札 越前福井藩 時代 江戸時代/1661年
販売価格 12,000円
相場 数千円~数万円
素材
画像出典 福井藩札と江戸時代の貨幣

江戸時代の「三貨制度」とは別に、「藩札(はんさつ)」という貨幣もこの時代に発生しました。

この藩札とは文字通り、藩独自による領内で用いられる紙幣のことです。この藩札の分類には、寺社が発行した寺社札、宮家による宮家札、旗本による旗本札などもまとめて含まれることがあります。

最初の藩札は文献上、1630年、備後福山藩(現在の広島あたりの地域)とされています。一般的には、越前福井藩が1661年に発行した銀札だとされています。

ちなみにそれ以前にも民間で発行したお札は存在しており、日本最古の紙幣となれば1610年、現在の三重県伊勢市で発行された「山田羽書(やまだはがき)」とされ、これは世界発の紙幣である宋の「交子」に次ぐ古い紙幣です。

通常の通貨だけでなく、藩札が必要だったのは、領内の貨幣不足、財政難のためです。この藩札は銀の単位で発行された銀札が多いです。

「銀10匁札」「銀100匁札」のほか、「金1分札」といった金札など様々です。藩札は明治3年まで発行されています。

明治時代:円の誕生

銀貨・銅貨

明治政府は1871年に「新貨条例」を制定。

江戸では「両・分・朱」という単位で、「1両=4分=16朱」という4進法でしたが、改められて「1両」が「1円」になりました。

円のほかに「銭(せん)」「厘(りん)」という単位もあり、「100銭で1円」「10厘で1銭」という十進法に統一されました。

明治時代の貨幣(硬貨・コイン)

旧一円銀貨 時代 明治3年発行
販売価格 数千円~(年代により変動)
相場 3000円~100万円
素材 銀900・銅100
画像出典 wiki「日本の銀貨」

通貨は西洋に倣って、コインの形状が採用されました。通貨のシステムは西洋で広まっていた金本位制です。金本位制とは、貨幣と金(金貨)の引き換えが約束されている通貨制度です。金によって貨幣の価値を保証する仕組みです。

この制度を採用するため、交換できる金貨として、アメリカ・ドルの1ドル金貨にあたる「1円金貨」などが定められました。このような基本となる貨幣のことを、本位貨幣といいます。

「新貨条例」ではこの本位貨幣である金貨5種のほか、補助貨幣としての銀貨4種・銅貨4種、さらには貿易専用の1円銀貨も定めています。

【本位金貨幣】

  • 旧一円金貨
  • 旧二円金貨
  • 旧五円金貨/新五円金貨
  • 旧十円金貨/新十円金貨
  • 旧二十円金貨/新二十円金貨

【銀貨幣】

  • 旧五銭銀貨
  • 旧十銭銀貨
  • 旧二十銭銀貨/二十銭銀貨
  • 旧五十銭銀貨

【銅貨】

  • 一厘銅貨
  • 半銭銅貨
  • 一銭銅貨
  • 二銭銅貨

【貿易銀】

  • 旧一円銀貨/明治七年一円銀貨

うえのなかに「旧」といった文字が目立つのは、新貨条例後、その貨幣の模様や形状などが変更されているからです。

明治時代の紙幣

楽天「明治通宝10銭」 時代 1872年
価値
相場 5,000円前後
素材
画像出典 楽天「明治通宝10銭」

日本初の全国で通用する政府紙幣がこの頃に誕生しました。歴史の教科書でも見かける「太政官札(だじょうかんさつ)」です。

ただし、この単位は江戸時代から続いた「両・分・朱」という単位であり、金とは交換できない「不換紙幣」です。このお札の発行目的は、戊辰戦争や産業の振興のための資金を調達するためでした。

このあと、1872年に新紙幣として「明治通宝(めいじつうほう)」が発行されました。

これもまた不換紙幣ですが、日本初の西洋式印刷技術による紙幣です。製造はドイツの印刷業者によるものなので「ゲルマン札」という呼び方もされていました。

この明治通宝は偽造が多発したことにより、1881年にデザインを新しくした「改造紙幣」が発行され、明治通宝と交換されました。日本初の肖像画入りの紙幣であり、その肖像には神功皇后(じんぐうこうごう)が描かれています。

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国立銀行条例の制定、国立銀行の成立:国立銀行紙幣

wiki「国立銀行紙幣」 時代 1873年~1899年
価値 B
相場 4万円~30万円
素材
画像出典 wiki「国立銀行紙幣」

西洋の銀行制度を参考として「国立銀行条例」が制定され、これまでの不換紙幣から兌換紙幣への移行を目指しました。

兌換紙幣とはこの場合、金と交換できる紙幣のことです。明治政府は金本位制を採用したので、当然といえば当然の動きといえます。

国立銀行が兌換紙幣を発行することが「国立銀行条例」に記されていますが、この国立銀行というのは法によって設立された民間の銀行のことをさします。このときに発行された銀行券を「国立銀行紙幣(国立銀行券)」といいます。

のちには不換紙幣の銀行券も発行されました。兌換紙幣を「旧国立銀行券」、不換紙幣を「新国立銀行券」と呼ばれています。

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日本銀行の成立:日本銀行券

1882年に中央銀行としての「日本銀行」が設立しました。以来、日本銀行が唯一の発券銀行となり、これまで発行された国立銀行券を回収しました。

1885年、最初の「日本銀行券」が発行されました。

この紙幣は金(金貨)と交換できる兌換紙幣ではなく、銀貨と交換できる「兌換銀券(だかんぎんけん)」でした。それ以前の国立銀行券と政府紙幣は1899年に通用が止まり、紙幣は日本銀行券のみとなりました。

大正時代・昭和時代:日本銀行券・証紙

楽天「兌換券200円」 時代 1945年~1946年
価値 B
相場 1万円~10万円
素材
画像出典 楽天「兌換券200円」

明治時代、1871年の「新貨条例」から新しいお金の制度が登場しました。西洋にならって金本位制が採用されましたが、当初は事実上、銀本位制であり、日本銀行券も兌換銀券でした。

それが日清戦争後、「1円=金0.75g」とされる本格的な金本位制へと変わりましたが、第一次世界大戦の影響によって金本位制は中断し、「管理通貨制度」に移行しました。これは政府が通貨の発行量を調節する仕組みです。

その後、金本位制への復帰が試みられましたが、世界恐慌後の1931年に金本位制がなくなり、その時から事実上、日本銀行券は兌換紙幣ではなくなりました。

法的にいえば1942年の日本銀行法制定によって不換紙幣の発行ができるようになりました。この貨幣制度は現在まで続いています。

1946年、戦後のインフレ対策として新紙幣(新円)が発行されました。

「新円切替(しんえんきりかえ)」といいます。旧円との切り替えの時期、古い紙幣に「証紙」を貼って使用することがありました。

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